戸渡 阿見(ととあみ)って誰?藤岡弘と別人だって本当?競演も!



電車や新聞の広告で見かける藤岡弘さんのそっくりさんの、この方。

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戸渡 阿見(ととあみ)、別名:深見 東州(ふかみとうしゅう)、半田 晴久(はんだ はるひさ)。
一体何者、と思いますよね。

実家は裕福?ものごころついた頃から新興宗教活動へ

深見氏の生家は代々酒樽製造業で、最盛期には灘五郷の酒蔵の酒樽作りを一手に引き受け、
日本一の酒樽屋だったそうです。

しかし深見氏がものごころついた頃、70年前には既に家庭環境は荒み、
高校入試前には母親が入信していた世界救世教に入信。
高校時代には世界救世教支部の学生部を結成したというのですから、
後に『ワールドメイト』を作る布石はあったのでしょう。

深見氏の母親は、この頃原因不明の病に侵されていて深見氏は
世界救世教の浄霊で治らなかったので、世界救世教の大元である
大本の除霊で除霊をし、救世教から大本教に転向。

大学受験で父親が国公立しか認めず喧嘩となり浪人し、
浪人生活中純文、哲学、恋愛など1日1冊、1000冊以上幅広いジャンルの本を
読み、同志社大学経済学部に合格しました。

お父様は関西学院を首席で卒業。厳格な人
『宗教はアヘンだ』と宗教にかんしては無関心だったと言います。

大学時代に霊力開眼?実業家としての力も発揮

深見氏の大学の専攻は国際金融論。ゼミのテーマは『南北問題の経済援助について』

大学の頃から周りの人の心を読み取ることが出来たという深見氏は、
四回生の頃には学内外で知らない人はいない存在となっていました。

同志社では英語研究会でディヴェートの代表となり400人の部員をまとめ
外国人観光客が多い京都で、日本文化を英語で説明することに興味がわいたと言います。
これが後の活動に具体的に役にたったのではないでしょうか。

大学は’76年3月、25歳で卒業されていますので3浪で入学されています。

最初の就職先はダイワハウス?

深見氏の新卒就職先はダイワハウスで、営業マンとして東京として活躍されていたそうです。
が、新卒1年目で大本教と提携している道院紅卍字会の霊能力者・橘カオル(徳田愛子)に出逢い運命一変。
宗教仲間と橘さんの家で共同生活を送り、1年後ダイワハウスを退職。

橘さんは後にワールドメイトの時計など物販を売る子会社ミスズを設立。
深見氏は予備校・三十鈴学苑(現みすず学苑)を設立。この頃から深見青山の名義で著作を上梓するようになりました。

’85年には有限会社コスモコア(ワールドメイト)を設立、’87年には上梓した本を出版するための会社
たちばな出版を創業。自分たちが作ったものは自分たちの会社に収益を改修するという実業家らしきやり方です。
人脈作りのゴルフでゴルフカップも開催してしまうのですから、全てをお金に代えてしまう人かもしれません。

この頃からオーストラリア、イギリスをはじめ国内外で13社ほどの会社の社長をつとめるようになります。

ととあみに改名したのはいつ?なんでもできちゃうのは何故?

深見氏が激団の座長として活躍するときは戸渡 阿見(とと あみ)の名前を使い、実業家として活躍する場合は深見東洲、
パスポートは本名の半田氏なのだそうです。

驚くことに芸術活動に関してははじめたきっかけはほぼ独学で、あとから有名なその道の師匠についているものが殆どでした。
書道や絵画ならまだ判りますが、ピアノ、バイオリン、作曲と和歌、クラッシックバレ、京劇が
独学からはじめたのはどういうことなのかと謎のままです。

藤岡弘とは別人なの?CMまで出ている

長年の謎なのが藤岡弘と同一人物ではないかと言われいる件ですが別人です。
’18年に競演が実現し、この通り藤岡さん『HANDAウォッチ』の広告塔になっています。

ここまでくると目黒祐樹と松方弘樹どころではありません。

いかがでしょうか。宗教法人所得では13年も揉めたので関わろうと思いませんが。深見氏こと半田氏が、色々才能ある人であることはわかりましたね。