尊富士・110年ぶり新入幕V!角界入りのきっかけは祖父?趣味は?
’24年度大相撲春場所で優勝した尊富士(東前頭17枚目・伊勢ケ浜部屋)が、13勝2敗で優勝しました。
新入幕優勝は、1914年(大正3年)夏場所の両国以来110年ぶりでした。
新入幕のためグッスも知名度もない力士が大活躍した、波瀾万丈の’24年春場所。
今回は尊富士がどんな力士か紹介させて頂きます。
尊富士は青森県出身の力士
尊富士は青森県出身の力士です。
元横綱・旭富士が親方を務める伊勢ケ浜部屋に所属する期待の若手。伊勢ケ浜部屋は日馬富士以来、四股名に『~富士』と命名される力士が多いと言われています。尊富士の詳細は以下の通りです。
- 本名は石岡 弥輝也(みきや)
- 平成11年(1999年)4月9日うまれ(24歳で新入幕初優勝)
- 4人兄弟の次男。上に兄、下に弟、妹がいる
- 鳥取城北高、日大と相撲強豪校を歩む
- 高校の同期は狼雅、豊昇龍は同い年、熱海富士は同じ部屋の後輩
- 王鵬、大の里は同年代のライバル
- 22年秋場所で初土俵
- 序ノ口、序二段、三段目は1場所で通過
- ’24年新十両昇格後、13勝で優勝
- 血液型はA型
- 好きな食べ物は馬肉と桃
- 嫌いな食べ物はラーメン
- 祖父はアマチュア相撲の指導員だった
- つき、押しが得意
嫌いな食べ物がラーメンというのが意外ですね。本人曰く『匂いが気になってしまう』のだそうです。
祖父のすすめで角界へ
尊富士の祖父はアマチュア相撲の指導者。
幼い頃から相撲の稽古をしていたという尊富士だったそうですが当時は『帰りのコンビニで唐揚げをかってもらえるから』という理由だったそうです。
通っていたつがる市立木造中は豪雪地帯。地元の『つがる旭富士ジュニアクラブ』まで30分、吹雪の中30分歩くとまわしが凍ってしまう寒さだったそうです。凍ったまわしは1000回スクワットして溶かしたという逸話も残っています。
幼い頃の尊富士をみた元横綱・旭富士(伊勢ケ浜親方)は『強くなる素質はあると思っていた』と確信。祖父、恩師、親方の期待に応える様に尊富士は記録を残しました。
中学3年の時、全国都道府県中学生大会で3位。高校では1年で金沢大会8強、3年時に全国高校総体3位、日大2年時に全日本大学選抜金沢大会準優勝、全国学生体重別大会135キロ未満級準優勝とキャリアを積み上げました。
大学卒業後は、待ち望んでいた伊勢ケ浜部屋に入門。関取力士が複数所属する恵まれた環境で稽古に取り組む中、尊富士は照ノ富士から下半身を鍛えろとアドバイスされました。
基礎をしっかりして故障を防げという意味合いだったのかもしれません。
令和のF1相撲の由来は
尊富士は、令和のF1相撲とも言われています。
その由来は、1場所で2桁勝利をおさめ優勝し、番付をあげるからです。
年6場所制となった1958年以降、幕下付け出しも含めた初優勝の最速記録は、1972年夏場所に初土俵から15場所目で優勝した輪島以来、52年ぶり。
記録に残る相撲をしたいと怪我をおして出場した千秋楽。そんな尊富士の、もうひとつの意外な一面は何でしょうか。
ボディクリーム使い分けという意外な一面
尊富士の意外な一面は、ボディクリーム使い分けです。尊富士が使い分けているというボディクリームは以下の通りです。
- ジョーマローン・ボディクレーム
- イブ・サン・ローラン、リフレ・ボディ・バーム
- シャネル・パリ ドーヴィルボディローション
- ビュリーボディミルク<レ・ヴィジナル>
- アロマリゾート・ボディミルク(ハッピースウィートピーチ)
- ザ・ボディショップ ブラックムスクシャワージェル
- ザ・ボディショップ ボディバター シア
- ボディバター、ピンクグレープフルーツ
- ニベアマシュマロケア ボディミルク
ハイブランドからドラッグストアのものまで。他の力士からは『いい香りがする』と高評価です。
ボディクリームだけでなく、ディフューザーも好きなのだそうです。
今後は怪我が心配
110年ぶりに記録を塗り替える優勝を果たした尊富士ですが、今後心配なのは怪我です。
連勝中も『体がつるほど痛い』と痛みを訴えるほど無我夢中で相撲を取っていた尊富士。千秋楽の前日の朝乃山戦で右足首を負傷。負傷した足にテーピングして強行出場でした。
千秋楽の日、尊富士の母・石岡桃子さん(47)は朝9時の飛行機で会場に向かうも入れず。スマホの画面で息子の優勝を知ったと言います。
短距離走選手だった桃子さん。尊富士は気の優しい親孝行な息子さんだそうです。
歴史に残る取組を取り、怪我をおしての出場。伸びきった靭帯は元に戻ることはありません。これから先、尊富士の力士人生はどうなるか判らないですが、角界には怪我に苦しみつつも、這い上がってきた力士が沢山います。
尊富士がこれらの力士に続くように祈るしかありません。