わら半紙ってどこで買える?100均や意外な需要も
30代から上の読者には学校でお馴染みだった、わら半紙。
漢字テスト、学級通信、給食献立表など幅広く使われてきました。
消しゴムで擦ると破れる柔らかさに『コピー用紙の方がいいのになぁ』と思ったものです。
店長が万年筆で
— わら半紙販売の松本洋紙店 (@matsumotopaper) August 2, 2023
わら半紙に何か書いてると思ったら
黒いのはスーべレーンでペリカンの黒インク
青いのはカスタム743でインクは月夜
お届けの際に入っているかもしれません#インク沼 #万年筆 #同梱物 pic.twitter.com/GAOasxpflv
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’20年代の『GIGAスクール構想』で小中学生1人に1台タブレットが支給される様になり、わら半紙は死語になってしまったのでしょうか。
今回は、わら半紙について以下の事を説明します。
- わら半紙はどこで買えるのか
- わら半紙の歴史、どうして学校で扱われるようになったのか
- わら半紙はなぜ教育現場から消えたのか
- わら半紙の需要は、どこにあるのか
わら半紙になつかしさを感じる方も、みたことがない方も、最後まで御覧いただけると嬉しいです。
わら半紙は、大手文房具店か通販で買える
昔はわら半紙は、文房具店にいけば買えました。
東京五輪の時に40代だった方の中には、学校で、余っているわら半紙を貰えたという人もいます。
現在、ダイソー、セリア、無印で出回っているのは、わら半紙と良く似た再生紙が混ざったクラフト紙です。昔使われていた、わら半紙は正確には『国更(くにざら)』もしくは『更紙(ざらし)』と呼ばれています。
本当に紙の原料としてわらが使われてたのは明治初期の一時期だけで、20世紀初頭には既に「わらが入ってるわら半紙」は作られなくなっていて私たちがわら半紙と呼んでる、学級だよりに使われるアイツの本名は「更紙(ざらがみ)」らしい。 https://t.co/j9bgLxKeUc
— 白樺香澄と宿屋ヒルベルト (@kasumishirakaba) August 9, 2023
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原料は、木材パルプと古紙が配合され、パルプの配合率が4割以下の下級印刷用紙(白上更紙、上更紙、更紙、ラフ更紙)を一般に『わら半紙』と指します。文房具店でも、お取り寄せになるので、楽天やアマゾンなど通販で取り寄せがいいでしょう。
わら半紙を開発した人は、一万円札の人の娘婿
わら半紙の歴史は明治時代に遡ります。
紙を作る原材料の布が高騰し、代わりに稲わらを紙の原料に加えたことから『わら半紙』と呼ばれるようになったそうです。
’23年から一万円札の肖像となった渋沢栄一の娘婿の大川平三郎は、『製紙王』として知られていますが『わら半紙』を作ったことでも有名です。栄一の書生をしながら東大で外国語を学び、後の王子製紙に入社。志願し製紙職人になった平三郎。
ミネルヴァ日本評伝選から栄一ファミリーの『大川平三郎』が出た。尾高惇忠の甥で、妻は栄一と大内くにとの間の子照子。もちろん一族の関係のことも詳しく書かれているし、このシリーズでは珍しく巻末に「付録大川平三郎ゆかりの地」というのが載っていて、早速出掛けたくなる。 pic.twitter.com/EreI0V3SGB
— ゆきかね (@yukikane66) December 7, 2022
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米国留学中に製紙技術を学び、製紙に藁を使う具体案をだした所から、わら半紙は生まれました。その技術を伝える為、全国に製紙会社を作ったので製紙王と呼ばれたのです。
わら半紙が教育現場で使われるようになったのは、安かったから
わら半紙が教育現場で使われるようになったのは、安かったからです。
今では当たり前のコピー機のレンタルやリース、中古機の販売はなかった時代、謄写版(ガリ版)で印刷物を配布していました。謄写版印刷は以下の手順で手間がかかりました。
- ロウ引き原紙をヤスリ盤の上にのせる
- 鉄筆で文字を刻み原稿をつくる
- シルクスクリーンの様な網を盤に被せる
- ローラーでインクを乗せて印刷
印刷の終わりの方になると、鉄筆の文字がかすれ、つながっていたのは日常茶飯事でした。
’70年代終わりには謄写版の原理を利用した『プリントゴッコ』も売り出されました。
わら半紙は、なぜ消えたのか
では、わら半紙はなぜ教育現場や官公庁から消えたのでしょうか。
再生紙の品質の向上、コピー機の導入、データーのデジタル化が進んだことにより、わら半紙は日の目をみなくなりました。
デジタル印刷機『リソグラフ』を作ったのは、『プリントゴッコ』の会社、理想科学だった事も時代の流れです。印機器の性能が飛躍的に向上し、謄写版に固執するメーカーは淘汰されました。
’60年代後半~’70年代の高度経済成長期の日本では物価指数を計る品目の1つに挙げられた、わら半紙ですが時代の進化には逆らえません。
通常のコピー紙が2500枚で約1800円で手に入るのに対し、わら半紙が1000枚で約2400~3000円。
上質紙は大量生産の輸入ものになると割安になり、わら半紙は国産になると、1枚2円と割高になってしまいます。こうした事情もあり、わら半紙の市場はますます縮小する傾向にあるのです。
が、わら半紙は、見捨てられたのではありません。
現在、わら半紙は、どこで使われている
わら半紙は、細々とですが生き延びています。
コピー用紙と違い、手を切らないので、こども向けの施設で使いたいという話もあります。

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あえてその質感を楽しみたいと、便箋をお取り寄せする文具マニアの間でも需要があるのです。
その他にも、シンプルな焼き菓子の敷物や、ペットのケージの中敷きとして活躍しています。
いかがでしたでしょうか。
年月を超えて、形を変えて、わら半紙は、需要があるということですね。