わら半紙ってどこで買える?100均や意外な需要も



30代から上の読者には学校でお馴染みだった、わら半紙。

漢字テスト、学級通信、給食献立表など幅広く使われてきました。
消しゴムで擦ると破れる柔らかさに『コピー用紙の方がいいのになぁ』と思ったものです。

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’20年代の『GIGAスクール構想』で小中学生1人に1台タブレットが支給される様になり、わら半紙は死語になってしまったのでしょうか。

今回は、わら半紙について以下の事を説明します。

  • わら半紙はどこで買えるのか
  • わら半紙の歴史、どうして学校で扱われるようになったのか
  • わら半紙はなぜ教育現場から消えたのか
  • わら半紙の需要は、どこにあるのか

わら半紙になつかしさを感じる方も、みたことがない方も、最後まで御覧いただけると嬉しいです。

わら半紙は、大手文房具店か通販で買える

昔はわら半紙は、文房具店にいけば買えました。
東京五輪の時に40代だった方の中には、学校で、余っているわら半紙を貰えたという人もいます。

現在、ダイソー、セリア、無印で出回っているのは、わら半紙と良く似た再生紙が混ざったクラフト紙です。昔使われていた、わら半紙は正確には『国更(くにざら)』もしくは『更紙(ざらし)』と呼ばれています。

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原料は、木材パルプと古紙が配合され、パルプの配合率が4割以下の下級印刷用紙(白上更紙、上更紙、更紙、ラフ更紙)を一般に『わら半紙』と指します。文房具店でも、お取り寄せになるので、楽天やアマゾンなど通販で取り寄せがいいでしょう。

わら半紙を開発した人は、一万円札の人の娘婿

わら半紙の歴史は明治時代に遡ります。
紙を作る原材料の布が高騰し、代わりに稲わらを紙の原料に加えたことから『わら半紙』と呼ばれるようになったそうです。

’23年から一万円札の肖像となった渋沢栄一の娘婿の大川平三郎は、『製紙王』として知られていますが『わら半紙』を作ったことでも有名です。栄一の書生をしながら東大で外国語を学び、後の王子製紙に入社。志願し製紙職人になった平三郎。

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米国留学中に製紙技術を学び、製紙に藁を使う具体案をだした所から、わら半紙は生まれました。その技術を伝える為、全国に製紙会社を作ったので製紙王と呼ばれたのです。

わら半紙が教育現場で使われるようになったのは、安かったから

わら半紙が教育現場で使われるようになったのは、安かったからです。

今では当たり前のコピー機のレンタルやリース、中古機の販売はなかった時代、謄写版(ガリ版)で印刷物を配布していました。謄写版印刷は以下の手順で手間がかかりました。

  • ロウ引き原紙をヤスリ盤の上にのせる
  • 鉄筆で文字を刻み原稿をつくる
  • シルクスクリーンの様な網を盤に被せる
  • ローラーでインクを乗せて印刷

印刷の終わりの方になると、鉄筆の文字がかすれ、つながっていたのは日常茶飯事でした。
’70年代終わりには謄写版の原理を利用した『プリントゴッコ』も売り出されました。

わら半紙は、なぜ消えたのか

では、わら半紙はなぜ教育現場や官公庁から消えたのでしょうか。

再生紙の品質の向上、コピー機の導入、データーのデジタル化が進んだことにより、わら半紙は日の目をみなくなりました。

デジタル印刷機『リソグラフ』を作ったのは、『プリントゴッコ』の会社、理想科学だった事も時代の流れです。印機器の性能が飛躍的に向上し、謄写版に固執するメーカーは淘汰されました。

’60年代後半~’70年代の高度経済成長期の日本では物価指数を計る品目の1つに挙げられた、わら半紙ですが時代の進化には逆らえません。

通常のコピー紙が2500枚で約1800円で手に入るのに対し、わら半紙が1000枚で約2400~3000円。
上質紙は大量生産の輸入ものになると割安になり、わら半紙は国産になると、1枚2円と割高になってしまいます。こうした事情もあり、わら半紙の市場はますます縮小する傾向にあるのです。

が、わら半紙は、見捨てられたのではありません。

現在、わら半紙は、どこで使われている

わら半紙は、細々とですが生き延びています。
コピー用紙と違い、手を切らないので、こども向けの施設で使いたいという話もあります。

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あえてその質感を楽しみたいと、便箋をお取り寄せする文具マニアの間でも需要があるのです。

その他にも、シンプルな焼き菓子の敷物や、ペットのケージの中敷きとして活躍しています。

いかがでしたでしょうか。
年月を超えて、形を変えて、わら半紙は、需要があるということですね。