原チャリって日本だけ?!将来原付はなくなるの?
どこの街でも見かける原付が日本独自の乗り物と言えば驚くかもしれません。その原付が全盛期の’80年代の生産量の10分の1に落ち込み、滅亡の岐路に立たされているのをご存じでしょうか。
原付は何故’80年代に爆発的に売れた?
原付そのものは’60年代からありましたが爆発的に売れ出したのは’80年代からです。’80年代から売れ出した背景には以下の理由があります。
- 教習所に通って取れるバイクの免許は中免(中型普通自動2輪)までだった
- 大型二輪は試験場に行って一発合格するしかなかった
- 自動車免許を取ると原付を運転できる特典がついていた
- 高校生は原付免許を取るだけで精一杯だった
- 自転車で行くには遠い、車を出すには面倒な所に便利だった
- 会社の営業用に車を用意するには不経済だった
これらの社会事情に目をつけたのがオートバイメーカーです。
原付は利便性と価格帯から当時の幅広い年代の大人と高校生の心を掴み、大人はセカンドカーの代わりに、学生は日常の足の為に購入し、壊れるまで乗っていました。
’80年代にスクータータイプが定着
’70年代は自転車にエンジンが付いた『原動機付自転車』だったものがスクーターに変わったのが’80年代前半。’80年にホンダ・タクトが発売されたのをきっかけに、’81年にはヤマハがベルーガを発売。スズキはジェンマをリリースしました。
レッグシールド、ステップフロア、分厚いシートが付いたスクータータイプが定番となり、ゴルフコンペの優勝賞品としてスクーターが出る程の人気となったのです。
価格帯も新車が12万~15万、中古が5~7万である事は、全盛期の40年前も今も変わらない事から、浮き沈みの激しい産業において珍しく値崩れしないものと言えます。
値崩れがしにくく常に一定の需要が見込めたはずの原付が何故、全盛期の売上の10分の1にまで落ち込んだのでしょうか。
全てのメーカーの原付をあわせても20種類以下
全盛期には毎年の様に新車がリリースされていた原付で、飛ぶように新車も中古車も売れていきました。
ところが’20年を超えコロナ禍となった所で売上は激減。原付を製造しているホンダ、ヤマハ、スズキ3社を合わせても原付は20種類も作っていないのが現状です。
かつては火花を散らすライバル関係だったヤマハとホンダでしたが、ヤマハは30年以上続くモデル『ジョグ』のエンジンの技術提供をホンダから受けています。
各社協力しあわなければ原付の技術提供も危なくなっているのです。
原付は日本独自の企画?
原付は正しくは原付一種と呼ばれる50ccの乗り物で、日本独自の乗り物です。世界的に見てガラゲーと同じぐらい珍しいと言われています。
大手メーカーは原付市場を縮小し、世界スタンダードの125cc(原付2種・ミニバイク)の発売に照準を絞りつつあります。原付2種は原付に比べ速度制限も緩く、’18年の法改正により免許の所得が容易になったからです。
とはいえ、原付の手軽さ、気軽に購入できて乗れるという側面は日本人のみならず、誰でも捨てがたいのではないでしょうか。
形を変えてでも原付の規格は日本に是非残して欲しいと思います。