コシヒカリは魚沼産じゃない?!原産地は福井県で育てにくかった?
日本で一番食べられているお米といえばコシヒカリ。
コシヒカリの生産量が一番多いのは新潟県でブランド米として知られるのは魚沼産です。
米穀安定供給支援機構の調査によると令和元年で作付け割合が多かったのはダントツでコシヒカリだというのも判ります。
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人気あるコシヒカリですが新潟県産のお米じゃないのをご存じでしょうか。
コシヒカリ発症の地は福井県なのです。
福井県では県のお米=コシヒカリ
福井県ではむかしも今も一番たべられているお米の品種はコシヒカリです。
令和に入ってから『ポスト・コシヒカリ』として育てられた特A品種・いちほまれ
があり、県外の人々にはふるさと納税にも選ばれ好評です。
福井県内の農家は、コシヒカリを中心に、コシヒカリを交配させたお米を収穫しています。
コシヒカリを最初に収穫し、コシヒカリの孫にあたるあきひかり、最後にいちほまれを収穫しているのです。
その一方で福井県民から見ると自家用のお米はコシヒカリという思いが強いと言います。
福井ではコシヒカリの交配種が盛んに育成されているのに、世間では『新潟が発祥の地』と勘違いされるのでしょうか。
戦争を経て福井で試練に耐えたコシヒカリ
コシヒカリは、極早生(わせ)の農林1号とイモチ病に強い農林22号を掛け合わせた品種です。
品種改良の家庭で第二次世界大戦がはじまったり、せっかく作った品種に別の欠点がみつかったこともあり作付けに年月がかかりました。
コシヒカリの親である農林1号と農林22号の交配は戦前に新潟県長岡市で行われたのですが、戦後福井農業試験場で引き続き育成が行われることになったのです。福井に持ち替えられた苗は何度も絶滅の危機にさらされました。
コシヒカリの他に4つの候補があった交配種
戦後、昭和23年(1948年)、福井農業試験場に交配種の一部が持ち帰られ田植えを行ったものの、同年6月28日直下型の福井地震が襲い、建物は崩壊、用水路は決壊し、土砂が流れ込み、致命的な被害が県を襲いました。その後も、空梅雨にみまわれ農業試験場でも枯れる苗が続出。
農林1号と農林22号の交配種が植えられた試験場は湿地帯だったため、枯れるのを免れ、その後の多雨で九頭竜川の堤防が崩れ、あふれた水が試験場の水田に溢れ、秋の豊作に間に合いました。
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農林1号と農林22号の交配種は5つあり、コシヒカリの他に越路早生、後にササニシキの交配米となったハツニシキ、ホウネンワセ、ヤマセニシキがありました。
昭和30年代育成に注目されていたのはホウネンワセ(越南14号)でした。
病気に強く収穫量が多く当時の味覚では美味しいとされていたからです。
ですが育種を手掛けていた農学博士の石黒慶一郎さんは『もう一年検討してみる』と粘った結果生まれたのがコシヒカリでした。
栽培方法で欠点をカバーしたコシヒカリ
ホウネンワセの誕生から1年経過した後、各地に試作を依頼したのがコシヒカリ(越南17号)でした。
当初、コシヒカリは当初『味は良いが厄介な苗』と言われたいたのです。
倒れやすい、イモチ病に弱いと揶揄され’50年代前半は誕生の地、福井県の奨励品種にも選ばれませんでした。
後に栽培法でカバーできる欠点は致命的欠点にならないとされ、奨励品種となりました。
越南17号は農林100号として登録され命名は『越の国(北陸)に光り輝く品種となることを期待』してコシヒカリとされたと言います。
コシヒカリ以外の他の試験米はあっさり味
コシヒカリの味は、皆さんご存知の通りですが、他の試験米の味はどの様な味だったのでしょうか。
現在も残る当時の試験米及び試験米の子孫を比べてみると、コシヒカリに比べてあっさりした味であることが判ります。
ハツニシキやヤマセニシキはお米としては味に特徴はなく平凡でしたが、米そのものを病気から守る交配親としては優秀な米だったそうです。越路早生や、わずかながら収穫されているホウネンワセは、味がさっぱりあっさりしていて、おにぎりやお寿司のシャリに向いていると言われています。
お米だけに限らず、植物は劣性遺伝子の掛け合わせから優秀なものがうまれるといいますので、コシヒカリの誕生は『苗が倒れる』という欠点があっても美味しさを評価されて現在に受け継がれているのだと思います。